里山でありながら、城を築きやすい地形により数多くの城が築かれ、合戦が起き、目まぐるしく歴史を刻んできた錦城山(きんじょうざん)。
もうお城はないものの、地形は昔のままに残っており、合戦の様子が伺える珍しい場所です。駐車場にある無料案内図、各所にある看板はとても丁寧で、知識がなくても昔の様子を十分に想像でき、興味深かったです。
場所:石川県
日程:2020年3月21日(土)
獲得標高:125m
歩行距離:2km
日程と装備
ルート
14:30駐車場→14:50錦城山山頂→15:40駐車場
登山時間1時間10分
駐車場
10台ほど駐車可能です。登り口にある案内図はゲットすべし。
装備
登山装備不要で、ちょっと場違いでした。笑
道は整備されているので、私服で散歩するのに適した場所だと思います。
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行動着上(半袖)
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行動着下(半ズボン)
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足元(トレランシューズ)
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手袋(インナー)使用せず
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カメラ(α7II、SEL24105F4)
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レインコート上下(使用せず)
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小物(ヘッドライト、救急セット)使用せず
城跡ハイキング
14:30駐車場。横には広場がありました。城跡を巡る人、広場でボール遊びをする人、満車になることは無さそうです。
ここからは、白山が綺麗に見えます。実はここ、100名山で有名な深田久弥が生まれた場所なのです。
さて、登山(ハイキング)開始です。ずっと整備された道なので、登山靴なんて不要で、スニーカーでOKですよ。
登山口によくある案内図。今まで見てきたやつは基本空っぽでしたが、ここには立派な地図が入ってました!
この地図の番号に従って巡って行きます。案内図もしっかりしていますし、途中にある看板も情報量が多く、城跡で何があったのか、知識がなくても楽しめます。
すぐあるのが、『偽金造りの洞穴』。ここで悪いことしてたわけですね。中は水が溜まっていて入りませんが、そんなに広くないです。
城があった頃はどんな地形だったのか、道はどこにあったのか、想像しながら行きます。
丁度私と同じタイミングで来られた女性は、管理している人?に案内してもらっていました。タイミングが合えば、説明しながら案内してくれるようなので、城マニアの方はぜひ。(管理している人がいついるのかは知りません…)
左が旧道。右は整備された道。なるべく旧道を進み、昔の情景を思い浮かべます。
ちょっと広場。
景色が良く、加賀の町が見渡せます。
もう少し進むと、もう本丸跡地です。横に長い地形で、どこに何が配置してあったか看板に書かれていました。
看板は、何度か城が変わった変遷の歴史が書かれています。軍事拠点にしやすい地形の山だったのですね。
何の石碑かはよくわからぬ。
本丸があった場所の横の土塁に上がれました。当時はもっと高く壁みたいな状態だったのでしょうか?
14:50山頂。本丸の最高地点?
本丸の先に進みます。馬洗い池。飲料水確保のために作られた場所のようですが、血生臭さを感じてしまうのは気のせいでしょうか。
本丸から少し離れた場所にある、二の丸跡。
少し前までは、子供の遊び場として活躍していた形跡がありますが、今はもう使われて無さそうです。
看板は多くありますし、地図もあるので迷うことはありません。一通り巡りますよー。
戸次丸跡。見たことない大きな椿の木がありました。
整備された道です。歴史を感じながら、ゆっくりと歩きます。
『堀切』大工事して、城として使える地形に作り替えたようですね。人の手だけで、頑張ったのでしょう。
血生臭さい『局谷』かんざしを刺した蛇が出るとか。
1番広い、鐘ケ丸跡へ。土塁の上を歩けます。
激戦区になり、骨になるまで遺体が放置されていた場所のようです。
ここが激戦区だったのかと思いながら見ると、少し不気味。幽霊でも出るんちゃうか。
東丸まで来ました。
深田久弥の記念碑は、白山が眺められる場所に設置してありました。
15:40下山。ここまで戦場を感じる場所は珍しいのではないでしょうか?ここに城があったのかとよくわかる地形が残っており、面白かったです。
すぐ近くにある深田久弥記念館に行きましたが、コロナウィルス問題のために閉館。残念。
今回の山行で活躍した道具
カメラ装備
カメラバッグは自力で編み出した方法で使っていますが、本当に便利です。
ノースフェイスのカメラバッグ
α7IIは登山の相棒です。kuromenboo.hatenablog.com
SEL24105F4はSONYユーザー必携の扱いやすいレンズです。